生きることは表裏一体

小説の賞を受賞したりなどもしたのでその日、その日で文章を書きます。僕の思った通りじゃなくて読んで下さる方、各々の捉え方で読んでもらいたいです。

未経験でも無限大

 時々、心身が僕から離脱する時がある。

昼間の課長からの何気ない言葉が僕の心の一部を抉り取っていく。もちろん、課長はそんな事をするつもりで言った言葉ではない事も僕は理解している。

でも、僕はその言葉を看過する事が出来なかった。

帰りの電車の中で、携帯の画面を見ても一件の通知も来ていない。家に帰り、暗い部屋に電気を灯しても僕と僕の抜け殻の余韻以外感じることは出来ない。僕は特に迫られる程、やらなければいけない事もないが何かやらなければいけない事があるような気がして、落ち着かない。そして、ずっとやるべき事をさがしている。ただ、その抽象的なやるべき事を思い出すと僕自身が形成してきたものが、全て瓦解してしまいそうな気がする。

そんな、不安を胸に留めなからタバコをふかすと、

幼少期の頃を思い出した。

「なぁ!ひびき知ってた?」

「何が?」

「夕日と太陽って同じなんだよ!」

「えぇ!?そうなの?知らなかった!

 じゃあ、月も太陽なんじゃない?」

 「ひびき、それは違うよ!月は月だよ!」

 「そうか!月が太陽だったらアポロ11号は燃えちゃ     

    うもんね」

  「たしかに!でも、どうして太陽と夕日は同じなの

  のに、太陽は白っぽくて夕日はオレンジ色なんだ

     ろうね?」

    「それは、朝はみんな起きるのが嫌だから寝よう

  としても眩しくて眠れないように白っぽくて

  夕日はまた、明日も頑張ろうって応援している

  からオレンジなんだよ!」

     「なるほどね!ひびきは賢いなぁ!!」

ふと気がつくと、タバコの火はフィルターのギリギリまで辿り着こうとしていた。

短い時間では、あったがどこかとても遠くまで行っていたような気持ちになった。

子供の頃の理論はよく分からない。いや、子供に理論など無い。僕たちは大人になる過程で知らずのうちに、理論や論理に心身共に侵される。

難しく考えなくても良かったのかもしれない。

泣きたい時に泣き、腹が立てば怒り、嬉しい時は誰かに連絡して一緒に喜んでもらい、寂しい時は人恋しいと叫べば良い。

もっと、僕たちは生きて行く中で子供をリスペクトしなくては、いけない気がする。

 今日の太陽は雲がかかって応援はしてくれていなかった。

右折だらけ

 倦怠感に包まれた明日が、もうこちらを覗いている。誰かが、こんな時に側に居てくれたらどれだけ僕の心は落ち着くのだろう。そんな事を思っているといつも君から着信がくる。僕は、君からの着信を本当は無視しなければならない。でも、そういった時に限って心身が離脱してしまって感情と理性の天秤が揺れたまま止まることは無い。僕は君の元へ急ぐ。黄色の点滅信号を青信号と何ら変わらなく潜って車を走らせる。本当は君には僕じゃない大切な人が居ることも何となくは気づいていた。携帯の向う側の君の声が何処か心細く聞こえたように感じた。

それが、演技だってなんだって君に会う口実になるならそれでも、良かった。だから僕は君の元へ駆けつけた。その時から歯車は徐々に狂い始めていて、

僕の言葉すらちゃんと伝えることができない。

僕は、君に真っ直ぐ生きてもらいたい。ただ、それだけを必死に伝えたつもりでも、僕と君の間には人の価値観や捉え方といったフィルターが邪魔をして

どんどん僕の心とは裏腹に違う言葉や感情に変換されて、君に届いてしまうから届かない。

人は、そんなに簡単には変わらない。

言葉は、伝えなければならない時こそ伝わらない。

結局、人は自分自身すら理解することは難しいのかもしれない。

秋の声

 伝えようとすればするほど、君には知っていて僕には知らない誰かが何処かで、君と一緒にほくそ笑んでいる気がして今日もまた、僕にとって大切なことを伝えられず終わってしまった。

 僕は君と会う時はいつも心の中で今日こそ大切なことを絶対に伝えようと思い扉を開ける。

僕の左側を歩く君の様子を伺いながら何度も伝えようとしたけれど、草いきれで君の機嫌が少し悪そうに見えたからやめた。すると、君は

かき氷が食べたいと笑顔で僕に言った。機嫌が悪そうに見えたのはただの僕の思い込みだった。いつも、そうだ。大切な事を伝えようとすると頭の中は君に嫌われた僕でいっぱいになり、その勝手な思い込みが言葉の障壁となってしまう。僕は自分自信に嫌いな奴と2人では歩かない、嫌いな奴にかき氷が食べたいなんて言わない、ましてや笑顔で。そんな事を言い聞かせて僕は僕を守りながら保っていた。早く気持ちを伝えないといけない。そう思うと、靄のかかった君との走馬灯が頭を駆け巡った。そして、心の中で僕を留めていた鎖が何かの拍子にプツンと切れた。鎖が切れたと同時に僕は君に大切なことを伝えた。けれど、僕の言葉は遠くの潮騒に掻き消されてしまうほど儚いものだった。それは、当然だ。だって僕にとって伝えたい大切なことは、それはあくまでも僕にとってだけのことであって、君にとっては大切なことではないのだから。入道雲が嫌なくらい綺麗に夕焼けのグラデーションのキャンパスになっていた。

地球を踏もう

 近頃は、見たことのない世界を見たいと思うようになった。僕は、元々外に出て遊んだりするのが苦手だ。決して嫌いな訳ではなく、苦手なのだ。出来ることなら僕だってアウトドアになってみたい。でも、運動神経が良くない方なので高架下や階段などで、スケボーなんてしようものならぎこちない様が不恰好で恥ずかしさのあまり、顔が紅色になるくらい赤らめてしまう。

サーフィンはしてみたい。サーフィンは、普段人間が生きていたら基本触れる事のない自然の水に触れることができるし、生命の始まりの起源の場所で波に乗るというのは、とても神秘的でありながら保守的なものを感じる。そしてもっと新しい何かを見ることが出来そうな気がする。

 外に出て遊ぶのは、得意ではないと前述したが、散歩は好きだ。僕は、散歩をする時は敢えてよく知っている馴染みのある土地を散歩するようにしている。いつもと景色や匂いが変わらないことを確認して時が流れていることを確認し、安心できるからだ。しかし、いつもと変わっていればそれは、それで後どのくらいの時間で、その変化がこの土地に馴染むのかなど気になって楽しい。夕方の散歩は、住宅街を歩くと良い。木造住宅の昔ながらの住宅街は哀愁があって尚良い。夕飯の匂いや、お風呂のシャンプーの匂いが家路を急がしてくるのが、少し幼い頃の記憶を刺激してきてその刺激が、涙腺にまで辿り着くこともある。

夜中の散歩は、普段自分が見ている世界や認知している事、全てを疑わせてくれる。

これは、敢えて詳しくは書かない。是非、自分自身で見て体験してほしい。

ただ、夜中の散歩は危険もあるので、特に女性などには十分安全に気を配って頂きたい。  

 これだけ、散歩について語ったが、やっぱり僕も「ムラサキスポーツ」などで買わないと揃わないようなものを使って遊ぶアウトドアに憧れる。

しかし、散歩もアウトドアだと思う。

この世で一番低燃費なアウトドアだ。

ムラサキスポーツ系アウトドアの方は是非、一度散歩を試してほしい。

僕も、アウトドアに挑戦していくので。

もうええわ!

 ビル風なのか寒風なのか、はっきり分からない程僕の心はまどろんでいた。身体は起きていていも、心の中はずっと眠っている状態だ。

18歳で高校を卒業して、夢を叶えるためにその世界に足を踏み入れた。そこから14年間必死に闘ってきたつもりだ。この、14年間という月日は世間からみれば普通では無く異常な14年間に映るに違いない。けれど、そんな事は僕たちが一番分かっているんだ。人を「笑わす」という仕事が4、5年目からは世間に後指を指されて「笑われる」ように変わった。少し、結果を出せば周りの反応や態度は変わる。その結果をものに出来なければ、すぐに元の反応に戻る。

夢を追いかければ追いかけるほど周囲から殺される。そしてまた、自分を殺してしまう。

 儚くて、どうにかなるかも分からない夢を追いかける僕達は社会不適合者以外の何者でも無い。そんな事は自分自身が一番分かっている。

人並みの幸せは掴めないし、手に入れてはいけない。泥水をすすりながら努力している気になっているくらいが丁度良い。でも、時にほくそ笑みながらこちらを眺めてる奴らもいる。

本当は、笑みなど浮かべていないのだろうけれど、泥水をすすり過ぎた僕にはそうとしか見えない。天才を秀才を鬼才を僕は安易に、受け入れてはいけない。

 こんな、人間失格者でも人の感情はまだ持っている。間違った惰性的な日常を過ごしていても

恋はする。そして、失恋をしてやっと気づく。

そもそも人を好きになっていい職業では、身分では無い事に。

 世間は普通に働いて、人並みの生活を送れという。じゃあ、その普通は何なのだろうか。

大手企業に勤めることが、普通なのか。

結婚をして、子供を産んで数十年後には年金で余生を送ることが普通なのか。僕は、こんなに漠然とした普通を何故普通と呼ぶのか理解出来ない。しかし、自分の親でさえそれを言ってくるのだから恐ろしい。

でも、僕は自分が過ごしてきた14年間よりも

この世間の漠然とした普通の方が正しいという事は知っている。

 今、テレビで新しいお笑い界を築いたと言っても過言ではない芸人が写っている。

こいつらは、同期の芸人だった。

僕らは、どの賞レースでも彼らに勝っていた。

人生は何がどうなるか分からない。

一人と独りは違う

 重たい曇天から、雫が一滴落ちる様はまるで

今朝の私達の不穏な淀んだ空気の部屋のキッチンの水道から水が、落ちる様と重なる。

特に、2人の間に何があった訳でもなく、ただただ2人で揺れる洗濯機を座って眺める。

換気扇の音をBGMにして、軽食を口にし空腹を紛らわす。窓の外に振り続ける雨をひたすらに無言で見つめる。午後3時過ぎに私が温かいコーヒーを入れて、さくらももこの小説を読もうとすると君は、やっとちょっかいをかけてくる。なのに、そのちょっかいもどこか無愛想だ。なのに何故か可愛げもある。

 私は雨が上がったのを確認すると、留守番を君に任せて、夕食のナポリタンの食材を近所のスーパーに買いに行った。

家に帰ると、君は不貞腐れた目をしながら玄関で待っていてくれた。それは、私がご機嫌で帰った日も、落ち込んで帰った日も、酔っ払って帰った日も、失恋をして帰った日もいつも玄関で無愛想に待っていてくれる。そして、私はいつも君の喉仏を撫でる。すると、君はいつも目を細めて、ゴロゴロと声を出す。

その、ゴロゴロはいつも私を癒してくれる。

陰に賛美歌を

 言葉の荷物を肩にぶら下げて、酷い肩こりが

慢性的になっていることも忘れて人混みの中を颯爽と歩いてるふりをするのには、もうつかれた。夜中の電柱から伸びる僅かな枝が、電柱の根元に咲く、うす紫の小さな花を照らす。

その花は妖艶でありながら微動だにせず、夜中という静寂を耐え忍ぼうとしている。まるで、帰ってくることのない彼を薄暗い部屋で一人待つあの子のように。そして、昼間の僕の行動範囲の中で浴びせられた罵詈雑言に耐え忍ぶように、その電柱の根元に咲く花は現代社会という

問題の種を持った僕たち人間の花だ。